寄稿 | 岐阜薬科大学同窓会

会報九重(ここのえ)

寄稿

歩兵第十連隊第一中隊の内務班
小 林   周(専9)

満州国三江省樺川県佳木斯 ジ ャ ム ス が私の初年兵として入隊した連隊の駐屯地である。 班内は営庭に面した方を舎前、 その反対側を舎后と呼び眞中に廊下が通っている。 この両側に各々二十名計四十名が一ヶ班である。 午前六時薄靄の営庭に喨々たる起床喇叭が鳴り響くと班内はでんぐり返るような様相を呈する。 やがて年若い週番士官が颯爽と週番下士官を従えてお出ましなる。 点呼の号令が兵舎内に響く。 中隊はビリッと引き締まる。 各班にくると班長が 「気をつけ」 を号令し十五度の室内敬礼の後 「總員何名事故何名下士集へ何名番号―」 と声をあげ号令する。 週番下士官の解散の声で班長の分かれの号令がかかる。 その后は炊事へ食事をとりにゆく者、 配膳する者に分かれて競走で準備をする。 食事をとりに行くこと、 此が飯上げである。 班内に持ち返り盛りつけをする。 兵長、 上等兵、 古兵への盛り付けはとくにやかましい。 箸の位置汁椀の位置が少しでも間違っていようものなら、 たちまちぶん殴られ、 ひっくり返される。 地位も名誉も学歴もここでは一切通用しなかった。 考えてみれば氏素性、 学歴、 職業の異なる種々雑多な何万という生意気な若者達をたった三ヶ月で精鋭な戦士に仕上げようというのであるから問答無用で先ず型に叩き込む以外には方法のないことも事実であった。 そしてその根幹をなすものは 「絶対服従」 であった。 であるが故に日常が戦場であり戦場が日常であった。 夜毎、 夜毎の制裁は誠に正視に堪えぬものでありまさに暗黒の内務班であった。 「馬鹿者―バシー」 「馬鹿者―バシー」 此れはビンタの音であった。 「お世話になりました」 ビンタをくらった初年兵の返答である。 まさに想像を絶する隔絶社会であった。 然しながらこの閉鎖社会では表裏は絶対に許されなかった。 精神誠意軍隊の習慣としきたりに努力する者のみが認められる社会でもあった。」 果してこの事実は後日絶望的な敗戦必死の凄惨苛烈な主戦場に於いても平然として軍務に服し平常と何等変わるところはなかった。 これ等の事柄は戦争という超非常事態に於いてこそ通用すべきもので平時に於いてはこんなことはやるべき筋合のものではないし又論すべきものでもない。

日本食に思う
 

 

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