追悼 恩師 松浦 信先生を偲んで | 岐阜薬科大学同窓会

会報九重(ここのえ)

追悼 恩師 松浦 信先生を偲んで

追悼 恩師松浦 信先生を偲んで

飯沼 宗和(大19)

松浦信先生が平成24年4月29日、ご逝去されました。 満90歳の生涯でした。突然の訃報に接し、ただただ驚くばかりです。 松浦先生は、昭和17年9月岐阜薬学専門学校をご卒業になり、昭和24年3月に岐阜薬科大学薬化学教室(中沢浩ー教授)の助手として赴任されました。電気、ガス、水道の供給も不十分な時代に武者修行のつもりで大学に戻られたことや不撓不屈な精神と学術に裏付けられた信念で研究を続ければ必ず成果が出ることを懐述されておられました。その研鑽の結果、昭和33年7月に東京大学薬学部生薬学柴田承二教授の元で学位を取得されました(論文題目:濃リン酸を応用するフラバノンの合成研究)。レゾルシンを母体とする薬剤の合成、濃オルトリン酸を用いたカルコンのフラバノンへの閉環反応、ポリメトキシフラボンの合成、ポリヒドロキシアントラキノンの合成などと今ではシグナル伝達に重要な役割を演じていることが分ってきたポリフエノールの合成に成功されました。昭和38年生薬学教室に配置換えとなり、フラボンの合成研究と資源植物の成分研究を同時に研究テ一マとして展開されました。フラバノンからフラボンへの酸化反応にDDQを用い,従来法のセレン酸化に比べ高収量の反応に仕上げました。また、フラボノイドの光化学反応についても広くご研究されました。一方では、イカリソウ、柿蔕、メヤブマオウ、エビスダサ、ナンキンマメ、ヅボイシアなど様々な薬用植物の二次代謝産物を手掛け、多くの化合物を単離し、構造決定をされています。初期の構造解析は、主に赤外線吸収スぺクトル、紫外線吸収スぺクトルだけで随分ご苦労された話を覚えています。  昭和42年度に日本生薬学会が岐阜で開催された折には、大会準僅委員長としてご活躍になり、九重町から移転して真新しい三田洞校舎を学会の傍ら全国に紹介されました。  大学運営にも力を注がれ、付属薬草園長、厚生薬学科長、子ノ原川島記念演習園長、学生部長、創立五十周年記念行事準備委員長、日中学術交流委員長などを歴任され、岐阜薬科大学の発展に多大なる貢献をされました。  同窓会幹事長(昭和33年6月〜35年5月、昭和49年5月〜52年4月)を勤め、岐阜薬科大学同窓会運営の礎を築かれ、“絆”を大切にした今日の同窓会組織の構築に人一倍尽力されました。  先生が永きにわたって育てた卒業生は先生のご薫陶を受け樾ぎ、各方面で活躍しています。  先生が愛した逍遥歌(林轔太郎作詞•作曲)を記します。「三春悲し濃尾の野 長良の水の行く末に 麗わしかりし若き日の 帰らぬ影を偲ぶかな…自ら欲りし陀の目の 知恵に醒ゆく青春の 夢の名残の我が友よ いざ 盃酌みて別れなむ」

松浦先生、安らかにお眠り下さい。

岐阜薬科大学

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